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苦い思い出
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北京といえば、天安門広場。天安門広場といえば、中華人民共和国のシンボル、そして毛沢東。

「彼の晩年の政策には過ちがあっただろうが、相対的に見るとやはり、中華人民共和国創立の父として、毛沢東の功績はすばらしい。」

という賞賛の声を、中国人の知人、仕事の取引先の方から幾度となく耳にしてきました。特に年配の方から。

今日、学校の授業中、何の話からそうなったのか思い出せませんが、私の先生(50代の女性)が子供の頃の体験を語り始めました。

彼女は北京の裕福な家庭に育ちました。父親は職業に恵まれ、母親は学校の先生だったためです。
しかし、毛沢東による思想改革運動、つまり「文化大革命」により、家庭に悲劇が訪れます。というのも、知識階級や、資産階級は「悪」とみなされ、逆に貧しい農民(=貧農)が先進階級とみなされたからです。
ある日の朝、突然家に軍人(=紅軍)が大量に訪れ、家の壁に、批判の言葉の張り紙を貼ると同時に、家のありとあらゆる物を持ち去ってゆきます。父親は紅軍に連れて行かれ、母親、兄、そして幼い先生は抵抗もできず、ただただ泣くしかできませんでした。
その日を境に、同じ胡同に住む今まで仲良しだった友達からは、無視されたり、石を投げられたり・・・。友達も、紅軍にそうするよう仕向けられたのです。
幸せだった家族は引き裂かれ、貧しい農村地帯へ移されます。おいしくないけど、幼いながらも「食べないと生きてゆけない」、という思いで、毎日食事をしていたそうです。

「幼い時に体験した、あの朝の恐怖感は今でも絶対忘れることができない。けど、時間が経ち、だんだんと傷が癒えてきたから、こうしてあなたに話せるようになったのかしら。
あの頃に比べると本当に今は幸せだわ。時代は良くなったものね。」

同じ胡同内で、このような迫害を受けたのは先生の家族を含めて3家族。そのうちの男性一人が、今ではビジネスで成功し、北京郊外に広大な土地付きの別荘を購入したそうです。そして、その場所を以前住んでいた胡同の名前と同じ名を付け、年に数回、文化大革命の苦難の時代に自分に優しくしてくれた人、良くしてくれた人を招待して、食事をしたり、思い出を語ったりしているそうです。宿泊もできるとか。

その時代にそういうことがあったというのは知っていたけど、
平和な国で平和な時間しか過ごしてない私にとって、この話はしばらく頭からはなれなかった。
by munan-munan | 2007-06-12 10:24 | 中国 北京
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